■ 2004年1月,2月,3月

   040311 日常。

 家に帰ると、まず炊飯器の電源を入れる。

 朝のうちに米を研いで水につけてあるから、コンセントを挿してボタンを押せばオッケー。すぐに加熱が始まり、30分もすれば炊き上がる。通常1合。気分によっては1.5合。

 待つ間に、スーツを脱いでシャワーを浴びて室内着に着替えて態勢を整える。パソコンも起動させておいてメールをチェックしてニュースサイトを閲覧して自分のサイトの掲示板を確認する。

 それも一段落したら魚を焼く。ホッケの醤油干しだったりアジの開きだったり赤魚の粕漬けだったり。冷蔵庫に入っているいずれかの魚を、コンロの魚焼きグリルの網の上にのせる。網の下に水を張るのを忘れないように。キッチンタイマーを「10分」にセットしておきながら、頃合いを見てひっくり返す。

 続いて納豆に加えるための小ネギを刻む。「納豆にはネギ入れるタイプ」だから。刻んだ小ネギは納豆を入れる器にあらかじめ入れておき、待機。

 余裕があって気が向けば味噌汁も準備するところなのだけれど、大抵はめんどくさいのでサボってしまう。乾燥ワカメも味噌も、なかなか減らない。

 ご飯が炊き上がって魚が焼き上がったら3パック98円の納豆を冷蔵庫から取り出して小ネギの上に盛って付属の醤油だれとカラシを入れてわしわしわしわしとかき混ぜる。納豆に薬味を入れる順番と、かき混ぜるタイミングについては諸説紛々あるようだけれども、僕は昔からこのやり方である。

 かくしてシンプルな食卓の準備が整い、座椅子に座った僕は箸を手にして骨をよけながら魚の身をつまみ、ご飯といっしょにかき込む。テレビは基本的にはつけないのだけれど、ごくまれにニュース番組なんかを垂れ流しておく。テレビを観るのは疲れるのだ。

 食べるのが早い方だし、たいした量でもないもんだから、ものの10分で食べ終わってしまい、箸を置く。食後時間が経つと動くのが億劫になるのは自明なので、そそくさと食器を片付けて洗ってしまう。温水の出ない台所の水道水は、冬場には果てしなく冷たく手の甲を打ち付ける。ステンレス製の炊飯器の釜に至るまですべてを洗い終わったところで、帰宅してから1時間。

 そうして僕の日常は回る。ぐるぐるぐるぐる。

 「日常に埋没するのはイヤだ」と言う人もいるけれども、埋没することができるからこその日常である。忌避すべきは、日常を平平凡凡なもの、退屈無味なものとしか思えなくなってしまうような心の有り様なのだと思う。ご飯の炊け具合の違い、魚の焼き加減の違い、食器を洗う水道水の温度の違いに、昨日と違う今日を感じることができたらそれでいい。

 水道水がだんだん温かくなってきて、また春がくる。

   040302 Ranaさんに100(目標)の質問。

 40000HITS達成しました、ありがとうございます。

 足かけ4年で40000ということで、律儀に10000HITS/年というペース。たまにカウンタを確認してグラフ化していますが、見事な正比例になっています。これもひとえに、一向に更新されなくても愛想尽かすことなく日々来訪いただいているみなさまのおかげです。

 昨年は30000HITSを記念してアンケートを開催しましたが、今回もちょっとした企画モノを展開したいと思います。題して「Ranaさんに100(目標)の質問」。

 その昔、「ねえさんたちに100の質問」を発端として「100質」がブームとなったことがありました。サイト管理人に答えさせるべく用意された、多様な「100質」。にいさんねえさんパパママ、じいちゃんばあちゃんお孫さん(なかった)。僕も、「ねえさんたちに100の質問」「活字好きに100コのQuestion」には、答えさせていただきました(>)。

 このたびの企画においては、僕独自の「100質」を作るべく、

 みなさんより質問を募集したいと思います。

 お寄せいただいた質問について、まとめてお答えし、「Ranaさんに100(目標)の質問」として公開します。質問が20にとどまるのか50なのか80なのか、はたまた100に達するのか。みなさんのご協力次第で盛り上がりっぷりも左右されるこの企画。要項下記。

※Norton AntiVirus が on の状態では、フォーム送信ができないようです。お手数ですが、一時 off にした状態で、ご送信ください。その他フォームに関して不具合が見られましたら、ご連絡いただけたら幸いです。



■企画要項。

 以下のフォームページより、「質問」をご投稿ください。

 「Ranaさんに100(目標)の質問」投稿フォーム

 ・便宜的に、1回の送信により5問までの投稿が可能となっています。

 ・投稿回数に制限はありません。

 ・無記名投稿可です。

 ・質問内容が重複・類似した場合、1問にまとめさせていただくこともあります。

 ・質問の内容・書式は問いませんが、場合によっては回答・掲載を見合わせることもあります。ご了承ください(予防線です)

 ・とはいえ、お寄せいただいた質問に関しては極力お答えする所存です。

 ・募集期間は、大体1ヵ月を予定しています(アバウト)

 ・投稿がまったくなかった場合は、ひっそりとフェードアウトします(それは悲しい)

 よろしくお願いします。

   040221 メーヤウに行ってきました。

 本日の日記は、こちらで。
>>>

   040220 中吊り広告がグラビア誌みたいで(文藝春秋の大冒険)。

私見では、これ(=“芥川賞”と“直木賞”の立て分け)が日本文学を悪くしていることの原因の一つなので、“文藝春秋新人賞”とでもして統一すべきであると思う。
田村秀行 『田村の[本音で迫る文学史]』

 金原ひとみ「蛇にピアス」と、綿矢りさ「蹴りたい背中」を読みました。

 「文藝春秋」はたまに買っているので、今月もその流れで無意識に手に取ってから、気づいたのです。「芥川賞発表 受賞二作全文掲載」という、表紙の大きな見出し。「あ、そかそか」と、迷うことなく購入決定。これはお買い得です。発売早々に買ったものの、身辺がバタバタしていたためにずっと手付かずでしたが、先日の出張からの帰りの新幹線で、やっと読むことができました。

 どちらも読ませてくれるものだったため、車中退屈することなく過ごせました。個人的には「蛇にピアス」が好きです。「蹴りたい背中」は、選者の山田詠美が言っている「共感は呼ぶ。」がまさしくその通りで、「中高時分の僕もこんなんだったなあ」などと思いながら読んでいました。あ、もちろん主人公「ハツ」に対してであって、「にな川」に対してではありません。

 そうした、住む世界としても重なる部分がある「蹴りたい背中」よりは、まったくもって自分とは縁遠い世界が描かれながらも、漂う「哀しみ」には共有可能な部分がある「蛇にピアス」に、僕はより惹かれるということでしょうか。

 両者ともに、「今現在の、もてる世界」を存分に、奔放に描いていると思います。今後どのように世界を広げていくのか、あるいは世界を越えていくことができるのか、素直に楽しみです。ひとしきり持ち上げられたあと、これからが本番です。「所詮は新人賞」ということで。お、贈呈式は今日ですね。

 出張帰りの新大阪―東京の新幹線車中で、スーツ姿で「文藝春秋」を読んでいる自分の姿を反芻してみると、「思えば遠くへきたもんだ」と思う。ニッポンのサラリーマン。

   040128 ブームに乗ってみよう。

 世は、学歴ブームです(そうなの?)。便乗して、僕の個人的な話をしてみたいと思います。



 僕は、名の知られている私立大学を卒業しました。

 人に訊かれてその名をを明らかにすると、「ほおお」とか「へええ」とか「ふうん」とか、反応はさまざまです。「反応されること」自体が、ネームバリューを証明しています。

 歴史があり、数多の著名な人物を輩出している大学ですから、こうした反応は自然なものです。けれど在籍中の一時期、大学の名前に嫌悪を感じていたことがありました。「重い」「照れくさい」「じゃまくさい」と。

 どうしても、「○○大学の、Ranaさん」として認識されてしまうのです。大学名が先にくる。「いやほら、関係ないですから。ねえ、ねえ」という空気を醸し出そうとしても、自然「すごいねえ」「がんばったねえ」「いいなあ」と感心の声が上がって羨望の視線がある。

 それらに対する反発が、嫌悪を生んでいたのです。

 だから僕は、「ひけらかす」ようなことは問題外として、極力、話題がそっち方面に流れないように仕向けたり、話題が振られても苦笑いでスルーしたりという対処法を、心ならずも身につけました。少々意固地に過ぎた部分もあったような。もうちょっと自然体で受け止める術もあったのではないかと、今にして思います。

 過度な身構えが解けていったのは、やはり卒業後のことになります。

 卒業後1年間バイトして、就職して、もうすぐ2年。この3年の間に、大学の名前に張り合えるだけの自分を、少しずつ形づくってきました。

 大学の名前を、ときには利用し、ときには武器とする、そんなしたたかさと柔軟性も身につけてきました。

 現在「役に立つ」のは、取材をするときです。話を訊く相手が大学の先輩であると、ただその事実ひとつで、場はすごく和み、話はぐっと引き出しやすくなります。「大学」を「交差点」とした人と人とのつながりは、想像以上に固いものでした。その最たるものが「学閥」ですが、そんな極端な例にはここでは触れません。

 ネタにも事欠きません。学校も、学生も、「いろんなことをやらかしてくれる」大学ですから、笑い話にもなれば、議論のテーマにもなります。あのアイドルの話を、何度訊かれ、何度話したことか。用途はたくさんあります。

 けれど今なお、「反発と嫌悪」が心にもたらされることが、たまにあります。「ああ、Ranaくん、○○大学なんだ」「ふうん」「へえ」「ほお」。現在感じる反発と嫌悪は、なまじ「もう社会に出てるんだし」という自負がある分、大きかったりもします。

 ただ、そのように見られるということは裏を返せば、僕がまだ「大学を出てちょっとしか経ってない人」と認識されていることの証でもあります。それは、大学の光から逃れられないまま、翳を背負ったまま、社会に出てしまっていることを揶揄されているようにも感じられるのです。

 そして僕もまた、一面では忌避しながら、一面では依存している心情があることを、自覚しています。

 あと1、2年もすれば、「社会人としての経験」と「その経験が当然もたらすべき、成長」のみによって歩くことになるんでしょうし、周りもそれらのみによって純粋に評価するようになるものと思います。そうなるときが早くくればいいと思うし、現時点では、まだ若干の怖さもあるのです。



 大学の名に恥じぬよう研鑚することも、
 大学の歴史に名を刻むべく精進することも、
 大学なんて関係ない、見返してやるぞと努力することも、

 それぞれ個々人が、自身を成長させるために選択する方針のひとつに過ぎません。

 大学を選ぶときにも、学力と、経済的事情と、地理的事情と、めざすものの漠然としたイメージとを総合的に考えて、自身の手足がいちばん伸ばせそうなところを、選択してください。

 適当に選ぶと、僕みたいに頓挫しますから(一気に説得力ゼロに)。

This diary is inspired by takka.

   040127 言葉を探す。

大きいって言葉じゃ表しきれない。
空に大きいって言葉は小さすぎるの。
空を表すには、もっと大きな言葉がいるわ。

映画 『ギルバート・グレイプ』より



 事実・事物・事象を、的確に表現する言葉に、詰まることがある。
 感情・感動・感想を、適切に言い表す言葉が見つからず、もどかしい。
 一晩かけても、そのたったひとつの言葉に出会うことができなくて、苦悶する。

 面白いものを見たときに、「面白い」と言わないで、
 素敵なものを見たときに、「素敵だ」と言わないで、
 綺麗なものを見たときに、「綺麗だ」と言わない。
 
 その気持の由来を考察して、
 その由来を要素に分解して、
 その要素を言葉に還元する。

 そうして、ふさわしい言葉を、事実に与える。
 与えられた言葉により、事物は色を増す。
 万人の前に等しく現れる事象を、どう表現するかが、人と人とを分ける。

 ある人が「青い」と言い、
 ある人が「蒼い」と言い、
 ある人が「碧い」と言う。 

 発せられた言葉、重ねられた言葉が、人を映す。
 言葉を発見し、選択した人の意思が、そこにある。
 人の生を遺すために、言葉を残す。



 愛という言葉を知っていることと、愛すること、愛されることは違う。それくらい差がある。
森博嗣 『女王の百年密室』

   040120 マンガを読む体力。

 体力の衰えを感じ始めてきている昨今ですが(え? もう?)、この「体力」、なにも肉体的なものばかりではありません。マンガを読むのにも、体力がいるようです。

 マンガとの初めての出会いは、藤子不二雄『ドラえもん』だったと記憶しています。幼稚園の年中組のときでした。小学館の「てんとう虫コミックス」や「コロコロコミック」を買い与えられた僕は、そりゃもう夢中で読んだものです。ひらがな、カタカナ、基礎的な漢字を憶えることができたので、小学校に入ってからの学習が比較的スムースでした。みなさんも、お子さんには早いうちからよいマンガを与えましょう(推奨)。僕もそうする所存です(いつの話だ)。母ちゃん、ありがとう!

 以降も僕のマンガ好きはとどまるところを知らず、手塚治虫、藤子不二雄を出発点として「ジャンプ」「サンデー」「ビッグコミック」「モーニング」などなど、年齢に応じた週刊・月刊誌を購読し、単行本を買いそろえました。両親ともにマンガ大好き人間だったので、マンガに関して大層理解があったのは幸いでした。ただ、僕のあまりのマンガ好きっぷりに呆れられ、一度すべてのマンガを没収されそうになったのには参りました。当時小学校低学年だった僕はこの世の終わりとばかりに泣き叫び、「ちょっと控えるから」ということでカンベンしてもらいましたが。後にも先にも、赤ん坊時代を除いてあれだけ泣いた記憶はありません。

 こうしてマンガ漬けだった僕の小・中・高・浪人時代でしたが(浪人時代もか)、大学生になってやや変化の兆しが見え始めました。ひとり暮らしの狭い部屋にそうそう大量の雑誌・単行本を置いてはおけないという事情から、自然と購入を控えるようになってきたのです。なにかと出費がかさみ、財政的にも購入ままならず、という根本的な理由もありましたが。

 一度遠ざかると、「マンガ離れ」は加速しました。購入から立ち読みへと形態が移行し、やがては立ち読みする機会すらもなくなってきました。サイクルの早い週刊誌では、何号か読まないでいるだけで展開がわからなくなるし、連載終了・新連載で執筆陣が目まぐるしく入れ替わるしで、久しぶりに手に取っても読めるマンガがない――という循環も、この傾向を後押ししました。

 そんなここ数年、「マンガを読む体力」が落ちてきていることを自覚することが多くなってきました。長時間読み続けることができないし、そもそもマンガを手にするのが億劫です。「マンガと小説、どちらを読むのが楽か?」と問われたならば、「小説」です。以前では考えられなかった逆転が起こっています。

 つい先日にも、マンガ喫茶にて荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険 第6部 ストーンオーシャン』を数時間かけて全巻(17巻)読破したのですが、ほとほと疲れ果てました。昔なら平気で、秋本治『こち亀』全53巻(当時)を1日で一気読みできてたのに!

 ただ、読む体力の低下だけならばまだしも、マンガを受容する力までも、衰えてきたような気がして、それがもっと憂慮するべきところだと思っています。内容に入り込めないのです。たとえば『ジョジョの奇妙な冒険』にしても、中高時代にあれだけ熱中して「貧弱! 貧弱ゥ!」とか「やれやれだぜ」とか「スピードワゴンはクールに去るぜ」とか、名言・決めゼリフを連呼していたにもかかわらず、先日読んだときには、どうにも流し読みになってしまった感があります。物語世界との距離を感じてしまったというか。おもしろいことはおもしろいんだけど、その感じ方が明らかに変性しているんですね。

つまらなくても、第2巻に読み進められるのが、
いままでのぼくだったのですが、それができないのです。
一冊目の途中で、もう読めなくなっていた。
「ああ、ぼくはマンガ好きじゃなくなっていた」と、
いまさら、知ったのです。

糸井重里 『ほぼ日刊イトイ新聞
「今日のダーリン」(2004年1月17日付)

 これをして、「大人になった」という風には片付けたくはないなあ、と。大きな言葉でいうと「感性」の話にもなってくるのでしょうが、「おもしろい!」と思えないよりは思えたほうが、お得で楽しいよなあ、と単純に思いますので。

This diary is inspired by Shigesato Itoi.

   040116 写真を勉強したい。

 デジカメを買いました。

 や、購入したのはかれこれ2週間前なんですけれども。新宿のビックカメラで、「弐萬円福袋」を買ったんです。「300万画素相当のデジカメが入ってまーす」という売り文句につられて。「デジカメ、そろそろ買いたいよなー、ボーナスも出たし。えへえへえへえへ」と思いながら各メーカの商品パンフレットを集め眺めていたときでしたから、渡りに船だったのです。

 購入検討段階においては、「どこのメーカにしよう?」「画素数はどのくらいがいいだろう?」「スマートな形状にしようか、手にしっくり納まるものにしようか、悩む……」などとあれこれ思案していたにもかかわらず、正月の喧騒に酔って、出たとこ勝負の「福袋」を買ってしまうあたり、行きあたりばったりです。

 入っていたのは、Nikonの『COOLPIX 3100』。松嶋奈々子さんが手にしてにっこり、「Nice Grip!」。後発の製品が続々と発売されている中で、型落ち感ありありではありますが、僕の求めていた性能は十二分に備えています。調べてみたら店頭通常価格は3万円弱だということですし、福袋の名にたがわぬ、お買い得であったといえるでしょう。

 これで、僕の手にもついにデジカメが。今までは借り物のデジカメで、たまに「写真日記」を謳って公開していて後ろめたかったものの、これからは堂々自分のカメラで撮影することができるわけです。やほう。


 それでは、記念すべき1発目の写真日記とまいりましょう。



わーい。

 みなさまからいただいた年賀状を、コタツの上に広げてみました。思えば過去3回、年賀状企画をおこなってきましたが、こうして結果発表的なことをしてきちんと御礼を申し述べるのははじめてです。なんて失礼な。3年前には、もらった数がついに10枚を切って危機的状況に陥りましたが、見事リカバリーを果たしました。ありがとうございます、ありがとうございます。

 今後も、デジカメに活躍の場を与えたいと思います。あくまでも文章メインなので、公開するのはたまーに、になるかとは思いますが。

 さあ、あとは明後日にせまった、お年玉くじの抽選結果発表が楽しみだ(あ、ヤらしい)。


   040115 早いの、うまいの、安いの。

 ちなみに、100万人に1人という確率(注・ヒトがクロイツフェルト・ヤコブ病を発症する率)は、飛行機事故や雷に撃たれて死ぬ確率(1000万分の1程度)よりも高く、殺人事件の被害者や出産時の妊婦の死亡率(1万分の1程度)よりも低い。強いていえば、女性が夫か愛人に殺される確率、または風呂で溺れ死ぬ確率に近い。
石浦章一 『タンパク質の反乱』

 吉野家で、焼鳥丼(昼食)とカレー丼(夕食)を食べました。

 BSE問題での米国産牛肉の輸入禁止措置により、「牛丼一筋300年〜♪」とキン肉マンもアニメの中で誇張して歌っていた吉野家に激震が走り、そのポリシーを曲げてまでも牛丼以外の商品を投入せざるをえなくなってしまいました。

 ご存知のとおり牛丼が大好きな僕も、ここは黙っていられません。この吉野家の窮地に、ほんの一助にでもなればと思い、吉野家に赴きました。牛丼ラヴ。

 「ひょっとしたら、閑古鳥が鳴いてるのかも」との危惧を抱きながら訪れた吉野家。あにはからんや、昼夜ともに満席、短くはありましたが行列までもできていました。なんだ、心配することもなかったか。一部店舗では「駆け込み需要」により、客足が伸びている、との報道もありましたね。

 冒頭で述べたとおり、僕が注文したメニューは昼が焼鳥丼、夜がカレー丼。「牛丼ラヴ」を標榜していながらのこの行動は、「今しか食べられないかもしれないメニュー」に対する僕のミーハーっぷりが、如実に表れています。

 周りも僕と同じく、ミーハー心に揺さぶられて、あるいは危険性回避のために牛丼以外のメニューを注文しているのかと思いきや、ここでもまた予測は裏切られました。9割方のお客さんが、牛丼を食しています。通常どおりの光景です。なんだみんな、こわいもんなしか。

 安全性の保証はされているものの、少なくとも現時点においては「生命の危険を賭して食らう牛丼」であるという見方もできるわけで、そう思いながらこの光景を眺めていると、いくばくかの感慨すらも起こりますね。

 そんなわけで不本意ながらも少数派に属することになった僕のもとに、焼鳥丼(昼)、カレー丼(夜)が運ばれてきます。物珍しさから寄せられる、周囲の視線を感じながら食らうハメに。くそう。

 味はどうだったかというと、実に堅実に、いい仕事をしてくれていたように思います。準備期間も短かっただろうに、決して「やっつけ仕事」というわけではなく、他のチェーン店のサブメニューに並ぶくらいのクオリティです。400円、450円の丼に「クオリティ」って不似合い。

 主役であるところの牛丼については、このまま牛肉の輸入禁止措置が継続した場合は、2月上旬の在庫切れが想定されているようです。そんな事態になってしまったら、しばしの間お別れということに。僕も一度食らっておかなければ。でもその前に、残りの「いくら鮭丼」「豚キムチ丼」「マーボー丼」「親子丼」までも食し、「応急措置メニュー完全制覇」を達成しておきたいと思います。応援よろしくお願いします。

弊社の使用しております米国産牛肉は、その安全性について国際基準(OIE−国際獣疫事務局、WHO−国際保健機構)で安全が確認されているショートプレート(バラ肉)のみであり、感染の危険があるとされる部位(脳・背骨など)が混入することはありません。また、BSE発生率の極めて低いとされる生後24ヶ月未満の牛肉のみを使用しておりますので、安心してお召し上がりいただけます。
平成15年12月
吉野家ディー・アンド・シー
代表取締役社長 安部修仁

   040106 タモリを尊敬している。

 新年早々、6日〜9日の予定で出張で佐賀に行くことになっていて、それ自体はまあいいのですが、ひとつ問題がありました。

 年末年始に買い込んだ食材の残りをどうすれば。

 冷蔵庫がもう、ぎゅうぎゅうなのですよ、ぎゅうぎゅう。ひらがなの擬態語を用いて、かわいさアピール。生鮮食品が多いですから、いかな冬とはいえ、この4日間の不在は命とり。無駄にしてしまわないためには、出発直前の5日夜に、処理しておかなければなりません。帰宅するやいなや、調理の始まりです。

●献立

その1:豆腐のグチャグチャ丼
万能ネギ・ミョウガ・タクアン・ゴマ・豆腐を混ぜて、醤油とみりんで味つけ、ご飯にのせる。その上に海苔・温泉たまごを置いて、醤油を少々たらす。昨年暮れの『笑っていいとも!増刊号』でタモリが作っていて、うまそうだったのでマネしてみた。(参考>>>

その2:雑煮
ダイコン・ニンジン・シイタケ・カマボコ・ミツバ・餅を使用。

その3:モヤシ・エノキ・ワカメの味噌汁

その4:ブリとイカの刺身のヅケ
前夜にあまったブリとイカの刺身に、ショウガを加えてヅケにしておいたもの。

 ……と、以上をズラズラズラと作って並べて、食ったわけですよ。

●総評

・「豆腐のグチャグチャ丼」はうまいけど、これでご飯1.5合はキツイ。
・あと、わりと息がネギ臭くなるので、要注意だ。
・鳥肉の入っていない雑煮の、なんと侘しいことか。
・とりあえず餅は飽きた。
・そもそも雑煮と味噌汁、汁物を2種作ることに対し、途中で疑問を感じなかったのか。
・その味噌汁、モヤシとエノキという、過去に例をみない組み合わせを試みたが、玉砕。白くて長いものだらけで、味は淡白。もう二度と彼らのコラボはあり得ない。
・ヅケは、文句なしに美味。
・余談だが、年末年始のカマボコのインフレが気に食わない。いくら縁起物とはいえ、1コ800円とは何事か。
・ので、コンビニで通常価格の98円で買った。
・ご飯と餅は同時に食ってはいけない。

●教訓

 食材の購入は、計画的に。少しは学習しなさい。



 それでは佐賀出張再び、行ってきます(休暇、あっという間に過ぎ去りました。ちなみに持ち帰ったノートパソコンは、予想通り一度も起動しませんでした)。これだけ作って食っても、なおダイコンとミツバが残ったのが無念です。ミツバ、購入単位あたりの量が多すぎ。



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