■ 2004年10月,11月,12月
ポプラ社の 『ズッコケ三人組』 シリーズ(那須正幹)が完結するということで、最後の巻となる50作目 『ズッコケ三人組の卒業式』 を購入した。 ハチベエ、ハカセ、モーちゃんという3人の少年が活躍するこのシリーズを、僕は小学生時代に愛読していた。出会いはたしか2年生のころで、図書室に置いてあったシリーズはじめの4作を繰り返し読んでたんだけれども、やがて飽き足らなくなって1冊、また1冊と親にねだって買ってもらったのだった。 「ようやくマンガ以外も読むようになったか」 と、このシリーズの購入にあたっては親も悪い顔はしなかった。 既刊すべてを読破してからは、半年に一度の発売日が楽しみで仕方がなかった。最新刊を読み終えると、すぐに半年後に思いを馳せる。巻末の 「あとがき」 に次作のタイトルが発表されてるもんだから、読みたさは募る。けれど当時、半年はすなわち1学年の半分であり、それは途方もなく長い期間に思われた。ので、やはり再び既刊を手にして、飢えをごまかすことにする。何度読み返したかわからない。1ケタじゃきかない。何十回だろう。 ファンクラブにも入会した。設立早々だったので、かなり若い番号だった。いまや会員数は4万5000を超えているそうだ。ファンクラブ手帳と会員証は、実家の机の引き出しにおさまっている。 しかし、やがて僕は 『ズッコケ三人組』 を読まなくなる。小学6年生の夏に出たシリーズ第20作を最後に、買わなくなってしまう。 「もう、ズッコケはいいかな」 と思いながら、より字の小さい本を探し、より刺激の強い本を求めるようになる。児童書には、そういう側面がある。いつか別れる。都合5年間、たった20作しか読んでいなかったんだと、いまの僕は思う。 アニメ化されたりドラマ化されたりして知名度がグンと上がったのは、僕が遠ざかったのとちょうど入れ替わりだった。だから僕は、アニメもドラマもまともに観ていない。すっかり情報に疎くなり、たまに書店で新刊を見かけて 「あ、まだ続いてたのか」 と思うにとどまるようになっていた僕の 『ズッコケ三人組』 との付き合いの変遷は、薄情というかむしろ、ごくありふれたものなんだろう。 「完結します」 というニュースを耳にして、初めて自分のお金で購入したシリーズ最終巻が、 『ズッコケ三人組の卒業式』 。15年ぶりに読んでみて、 「変わってないなあ、この3人」 と思い、 「こんなに短かったっけか」 と思い、 「時代も変わったなあ」 と思う。ノートパソコンが登場し、携帯電話が登場し、モーちゃんは 「なんだか二十六年くらい、ずっと六年生やってたみたいな気がする。」 と、ニクイことを言ってくれている。 読み終えるのに、1時間もかからない。3人の卒業に涙するということはもちろんなくて、気づくのは子どもに向けて書かれる文章とはどうあるべきかということだったり、その実践としての那須正幹の文章の巧さだったりする。そういう読み方になってしまっている。 「児童文学」 という言葉を知り、 「児童文学である」 ということを意識しながら読んでしまうということは、もう二度と小学生のころのような心持でこの作品を読むことはできないのだ、ということを意味する。 ひとつだけ、当時と同じ思いが沸き起こってきた。僕はやっぱり、ハチベエにはなれない。なれなかった。もの知りめがねのハカセや、まんまるスローモーなモーちゃんは、自分と重なるところも多くて感情移入できるのだけど、色黒で活動的、トリックスター的に立ち回るハチベエは対極で、遠い存在だった。彼みたいに周囲をぐいぐい引っ張っていく(ときには、ぶち壊す)キャラクターに対し、僕は羨望とやっかみの視線を送っていたのだ。3人組のなかで最初に名前が挙がるのはハチベエだし、表紙でいちばん目立っているのもハチベエだ。ハチベエになれない自分が、歯がゆかった。 けれど、 「ハチベエじゃなくても大丈夫なんだ」 ということを教えてくれたのもまた、このシリーズだったのだ。 |
たとえば2年半前、入社まもないころには徹夜でやっと1本仕上げていた原稿があったとして、いまだったら同じ分量の仕事を2時間で5本こなせているわけです。 これは文章が上達したという類の話ではなくて、要領を得た、コツをつかんだ、仕事に慣れた、ひとつの結果であるといえます。 単位時間あたりの仕事量の面からいえば会社にとってプラスの話ですから、素直に喜んどくべきところではあるのですが、当人にしてみればちと複雑な心境で、 「これでいいんかなあ」 という思いが次第に大きくなってきています。 一度得た要領を、次の仕事にも活かしたい。 つかんだコツを、目先の原稿に適用したい。 迫る時間のなかにあって、こうした思いに抗うことができずに、ついつい 「こなして」 しまった仕事の多いこと多いこと。元来僕は文章書くの、遅いはずなのに。 社長から突き返される赤字修正は、入社当時と比べれば劇的に減りました。一発で通った原稿が、そのまま印刷物になります。そこに、昔のような一々の喜びはなくなりました。 このまま流されてくと、文章が粗くなって仕事が荒くなって取り返しがつかないことになっちまいそうだという予感があるので、できるだけ悩むようにしよう立ち止まるようにしよう慣れないようにしようとは心がけているのですが、いかんせん押し寄せる仕事の波には勝てません。惰性に妥協して堕落するもよしとしてしまう自分がいます。うん、単にゴロがいいから、 「ダ」 を並べてみました。 環境を変えれば解消する部分もあるとは思いますが、それだけですむ話だとも思えないのです。こんな思いを秘しながら、日々出勤しているのです。これが、3年目の壁というか分岐点というか浮気というヤツなのです。こいつは厄介。 |
「Ranaくん、野球、どこのファン?」 「ライオンズすけど」 「ああ、西武ファンね」 「いや、ライオンズファンです」 という受け答えをすることが、とくにここ最近、多かった。 僕は 「西武ファン」 ではなくて 「ライオンズファン」 であると自称することにささやかなこだわりがあって、それは小学2年生のときに決定的にライオンズファンになって以来、頑ななまでに貫いてきたことであった(もちろん初期にはそれほど自覚的ではなかったけれども)。 だからこの日記でも掲示板でも、 「西武ライオンズ」 という球団を示したいときには極力 「ライオンズ」 と表記してきたし、他球団の場合もそれに倣ってたとえば 「ホークス」 「バファローズ」 「ジャイアンツ」 などと記してきた。 これは、プロ野球球団が企業の広告塔としての役割を担わざるを得ない現実に対する、ささやかな、ある意味子どもじみた抵抗である。でもまあ、人が 「西武」 と呼んでいたってそれは一向に気にならないあたり、僕も適当なもんである。 そういう僕だから、この1ヵ月くらい耳にしてきた、コクド本社不祥事発覚に端を発するライオンズ身売りか? のニュースも、 「ああ、そうですか」 と、比較的冷静に受け止めていた。ライオンズの選手たちにお金を払って、ライオンズの試合を見せてくれる企業があるのであれば、別に 「ライブドア・ライオンズ」 であろうが 「テレ朝ライオンズ」 であろうが、かまわない。 「ライブドア・ライオンズ」 は、 「ライ」 が重なってヘンだなあ。 けどこれが 「ライオンズ」 という愛称も変わりますよ、となると話は違うのであって、 「テレ朝ドラえもんズ」 は、ちとカンベンしてください、となるのであった。 この心理を照らして考えてみると、このたびの 「オリックス・ブルーウェーブ」 と 「近鉄バファローズ」 の合併は、両チームのファンの気持を踏みにじる最悪な経緯を辿っているのであって、それは先日の新ユニフォーム発表の段にいたって、処置なし、目も当てられぬ最悪な帰結をみることになってしまった。 新球団名は 「オリックス・バファローズ」 。 「バファローズ」 の名は残っていますよ、という処置も、新ユニフォームの袖には 「近鉄」 の文字を入れましたよ、という扱いも、 「歴史は引き継いでますから」 という免罪符的効果を発揮するよう期待されているのだけれど、あいにく現時点ではまったく逆効果だ。 山田久志、福本豊がいた 「阪急ブレーブス」 も、イチロー、長谷川滋利がいた 「オリックス・ブルーウェーブ」 も、野茂英雄、石井浩郎がいた 「近鉄バファローズ」 も、いまはもうない。いずれのチームも、かつてライオンズの連覇を阻んだ好敵手だった。 パシフィックリーグは、プロ野球は、一挙に2つのチームを失ってしまった。 |
「過去の参加者の声をご紹介」 という行為には、ウサン臭さを倍増させるリスクがあることを承知のうえで、あえてご紹介いたします。
(赤面) (ちょっと後悔) こほん(なかったことに)。 ……えー。 今年もやります! 年賀状大会!!!(ハイテンションでごまかそう) この企画も、回を重ねて4回目(011101, 021101, 031101)。紅白歌合戦や新春かくし芸大会と並び、年末年始の風物詩として早くも定着してまいりました(大きく出たな)。 下記要項内の ※環境によっては、このフォームによる送信が不可能な場合もあるようです。その場合、お手数ですがメールにてご連絡ください。 ※過去3回ご参加いただいた方には、問答無用で送りつけますので覚悟してください。 ※基本的に、自己の「年賀状送りたい願望」をかなえるための企画ですので、「交換」を求めるものではありません。返信の要はお気になさらず。 ■企画要項 □手順 1.上記フォームにて、必要事項をチェック・ご記入の上、送信する。あるいはRanaさんに「年賀状送りやがれこのやろうメール」を送る。 >>> 2.Ranaさんから「ご参加ありがとうございますメール」が届く。(交換してくださる場合)このメールにRanaさんの住所氏名を添付します。 3.Ranaさんにあなたの住所氏名をお知らせする(フォームで応募の場合この手順は不要)。 4.(交換してくださる場合)年賀状を買いましょう。 5.(交換してくださる場合)年賀状を書きましょう。 6.(交換してくださる場合)年賀状を投函しましょう。 7.元旦にご家庭に年賀状が届きます。郵便事故がない限りは。 8.「年賀状送りたい欲」が満たされ、Ranaさん幸せ。 9.Ranaさんから届いた年賀状は、お年玉くじ抽選結果発表までは保存しておいてください。あとは煮るなり焼くなり。 10.めでたしめでたし。 □補記 1.とりあえず、Ranaさんが信用に足る人物と認識されているのかどうかが問われている企画であるような気もします。 2.古き風習が廃れつつあるのを憂いているわけではないみたいです。 3.本企画を通じて知り得た個人情報は本企画の遂行(つまり年賀状送付)以外の目的には使用しません。漏洩しません。 4.日記の更新もままならないのに、年賀状の図案を考え、宛名書きをする余裕があるのかははなはだ疑問ですが、敢行します(退路を断っています)。 5.Ranaさんからの年賀状を干支ひと回り分、12枚集めると願いが3つかないます(それ、8年後)。 以上。
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藤子・F・不二雄氏は、週に一度、3人の娘に本を与えていたという。 興味の幅が広いF氏のこと、選ぶ本のジャンルはさぞかし多岐にわたっていたろう、と推測する。長女の土屋匡美さんは、 「今でも記憶に残っているのはレイ・ブラッドベリのSF短編集 『火星年代記』 です」 と語る。傾向としては、科学もの、歴史ものの本が多かったようだ。さらに土屋さんは、 「高校に入ってからは読み残すことが多くなり、父もあきらめたようですが」 とも語っている。 「親に与えられた本」 ということで僕が思い出すのは、幼稚園のころに買ってもらっていた、絵本の数々だ。 通っていた幼稚園で、希望する親たちからの注文を取りまとめて購入してくれたのだった。月に一冊ずつ、それは園児たちに配られる。ふだん登園拒否をしていた僕も、絵本が配られるその日だけは、絶対に休まなかった。 『おおきなかぶ』 や 『スーホの白い馬』 、 『ぐりとぐら』 シリーズや 『だるまちゃん』 シリーズといった有名どころの絵本から、今となっては内容はおろか題名すらも思い出せない絵本まで、ほんとにたくさんの絵本に触れることができた。 ただ、以降、 「親に与えられた本」 の記憶は、ぱったり途絶える。 小学校に上がってから読む本は、図書室で自分で選ぶ本が主だった。高学年あたりから中学にかけては、両親の本棚から適当に本をみつくろって読んでいた。高校のときは、小遣いをやりくりして古本屋で文庫本を乱買いした。僕はてんで勝手に本を選び、勝手放題に好きな作家をつくっていった。この間、親があえて 「これを読め」 などと薦めてきた本はなかった。 僕にとっては、そちらのほうがありがたかった。強制されなかったからこそ、嫌いにならなかったのだ。自分で選べたからこそ、高校生になって、やがて親の 「おさがり」 ではない自分の作家を手に入れたときに、大きな喜びが得られたのだ。 このように息子の読書欲の矛先に無頓着でありながらも、それでも親は親で、子どもがどんな本を読んでいるのかが気になるものらしい。たとえば父は、原田宗典や北村薫の作品を読んでみたらしい。そして、 「おれはあんまり好きじゃない」 という感想を抱いたらしい。 それを聞いて僕は、けっして落胆はしなかった。むしろ、ほっとした。なんでもわかり合える、分かち合える父と子、そんな関係ではないほうが、いいと思った。 将来、僕に子どもができて。 僕はどちらの立場の親になるのだろう、と思う。F氏のように積極的に本を与える親か。うちの両親のように放置しておく親か。まあ子どもの性格にもよるのだろうから、いま考えたってしょうがないことではある。 だけど、ひとつ思う。やがて子どもが自分の作家を手に入れて、僕がその作品を読んでみて、「おもしろくないなあ」 という感想を抱いたとしても、それを快く受け入れられる親にはなっていたいなあ、と。 ※
最後にもらった本は北村薫のSF小説 『スキップ』 。読み終えたとき、父の気持ちに沿った内容だと胸が熱くなりました。 土屋匡美(藤子・F・不二雄氏長女)
『POPULAR science 日本版』 2004年10月号 |
9日から12日のあいだ、倉敷の実家に帰省していました。
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当サイトを閲覧してくださってる方々のなかで、僕の部屋を訪れたことのある人は、存外多い。ひょっとしたら全閲覧者の半数近くではあるまいか。いやなんぼなんでもそこまでは多くないか。でも確実に何割かは、Rana邸訪問経験者だ。我が家で朝の光を浴びたことのある人も、ひとりやふたりではない。早朝に、お昼に、深夜に、みなさんそれぞれ遊びにきては、ダベったり酒を呑んだりして帰っていった。このサイトはめちゃくちゃ閉鎖的なくせに、妙なところで開放的だ。 多くの人に住処を把握されているということは、弱点を握られているような感じがして腰の座りが悪い。ピンポンダッシュされたらどうしよう。寝入りばなを襲われたらどうしよう。夜這いされたらどうしよう(誰がするか)。 そんな、僕の部屋を知っている方々はご存知のとおり、このアパートは結構年季が入っている。いや、 「年季が入っている」 なんて婉曲表現はやめよう。ずばり、古い、汚い。入居した当時からして 「うわあ」 という様相を呈していたが、8年が経ったいま、その分だけしっかり 「うわあ」 が上乗せされて、 「うっひゃあ」 というくらいの有様になってきた。 まあそれでも、新宿に15分で出られるし、場所のわりに家賃は安いし、ひとりで住む分には不自由ない広さは確保されてるし、そもそも僕はコジャレたワンルームマンションよか、こういうところのほうが落ち着くんだし、ということで、とくに不満もなく住みつづけていたのである。 それが、ある日の夜。
台所脇の天井近く、梁にあたる部分の側面の壁が、 「ズゴゴゴゴゴゴ……」 というJOJOの効果音ばりの騒音とともに、崩落した。 うわあ、ついにやっちゃったよ、この部屋。 驚きながらも、 「さもありなん」 と、達観している自分がいた。 「もう夜遅いし、大家さんへの報告と修理のお願いは、明日以降ヒマなときにでもすればいいかなー」 と、呑気に構えていた。 そしたら、翌朝。
うひゃあ……(さすがに、ちょっとヒいた)。 地肌たるコンクリートむき出しの、この惨状。ある意味コンクリート打ちっぱなし。部分デザイナーズマンション。言ってる場合じゃない。 その日の昼休み、大家さんに電話してみた。僕にしては迅速な行動だ。 ※
Rana:すみませーん、壁が落ちちゃいました。 大家さん:えええ? Rana:いやあの、台所の壁が、ガラガラガラと、落ちちゃったんですよ。 大家さん:ちょ、ちょ、ちょっと、確認しにお部屋に上がっていいですか? Rana:いいっすよー。 状況確認と、対応の検討のために、大家さんに合鍵で部屋に入ってもらって、また電話。 大家さん:あらあら。 Rana:すごいでしょう? 大家さん:ええ、すごいですね。 Rana:修理していただけますかね? 大家さん:ええと。 Rana:? 大家さん:もう、お住みになられて何年になります? Rana:8年目ですねー。 大家さん:あー、そうですよねー。長いですよねー。 Rana:たしかに、長いことお世話になってますねえ。 大家さん:ね。長いですよね。それだけ長くいらっしゃれば、まあ、こんなこともありますよ。あははははー。 Rana:あははははー。 笑ってる場合じゃない。 Rana:どうしましょう。 大家さん:うーん。 Rana:どうしましょう? 大家さん:うーん……。 Rana:? 大家さん:このままにしときませんか? Rana:え。 大家さん:もうこれ以上落ちることもないでしょうし。 Rana:そ、そうでしょうけど。 大家さん:補強工事すると、大事になりますし(お金もかかるし)。 Rana:ええ、まあ。 大家さん:そういうことにしときましょうよ。ね☆ Rana:ね☆(丸め込まれた) ※
と、これが1ヵ月半前のお話。
格好のネタだったので、日記にしようしようと思いながらも、なかなか時間がとれないで延び延びになっていたのですが、ようやくまとめることができました。安堵感。 ※
と、これが昨晩のお話。 明日アップしよう、と思いながら床に就き、ふと天井をじっと見つめたときに気がついてしまった、さらなる衝撃の真実。
!? 雨漏り寸前。 もうダメだ、この部屋。 |
2004 :
01-03
04-06
07-09
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