■ 2004年7月,8月,9月

   040917 実際は、ウォンバット石澤常光

< 座右の銘は、 「果報は寝て待て」 です。

 わあ、Ranaさん、イメージどおりの方ですねっ。

 って、言われたことがない。

 どうも、このサイトを通じて流布される僕の人物像は、中性的で、かつ繊細・誠実・清楚なものであるらしい。

 そいつは、無理な相談。

 そもそも、ハンドルネームが間違っていた。 「らな」 ってば、なんてかわいらしい名前(コナンとは関係なし)。これまで、どれだけの人がこの名前に幻想を抱き、そして裏切られてきたことか。名づけた自分自身の軽率が恨めしい。一晩真剣に悩んだこともある(どのくらい真剣に悩んでいたかというと、このくらい

 もちろん、この名前が呼び起こす期待に見合うだけの容姿を僕が備えていれば、問題はなかったわけだ。が、さにあらず。あるいは逆に、ものすごく男クサイ顔・体躯・性格であれば、そのギャップが一転ネタとして確立し、ひとつの財産となったことだろう(財産?)。しかし、そういうわけでもない。僕の容貌はいかにも中途半端だ(どのくらい中途半端かというと、このくらい

 だから実際に会ったときに、 「イメージどおり」 と言われるなんてことは望むべくもない。それはわかっている。わかっているならばなおさら、被害の拡大を防ぐことに尽力すべきであろうし、同じ徹は踏まぬように何らかの対策を講じるべきであろう(これまでにどのくらいの被害があったのかというと、このくらい

 そう思い立って、

< 似顔絵イラストを作ってみたわけですよ。
   ※ 『似顔絵イラストメーカー』 にて。

 こうして虚像と実像の間に走る溝を埋めるイラストを公開しておけば、実物に出くわしたときの衝撃を、いくらかでも和らげることができるのではなかろうか。いわば緩衝材である。この、実物を忠実にトレースした似顔……絵……え……

 ……。

 ええと。

 あの。

 うん。

< すみません、キレイめに作りました。

 陳謝します。

 土下座します。

 訴えないでください。

 ほんの出来心で。

 ……。

 で、まあ。

 当初の目的を、このイラストでは達成できないだろうと。

 むしろ逆効果なんじゃないかと。

 誤解を助長するだけだろうよ、と。

 あははん。

< 歌ってごまかします。

 この似顔絵、メッセンジャー等により何人に見せ、感想を求めてみるも、 「似てる!」 「似てないよ」 「ふーん(無関心)」 と、大まかに分けて三様の回答。似顔絵でも僕は中途半端だ。

   040901 それは遠い約束。


 およそ3年前。原田宗典オフィシャルサイト 『はらだしき村』 が公開されたその瞬間、僕は自宅のパソコンから何度もアクセスを繰り返し、アップロードされていくファイルそれぞれを確認しながら、 「いやっほい」 と、心の中で叫んでいました。

 べらぼうにファイル数が多い 『はらだしき村』 のこと、アップロードが完全に終わるまでには少しの時間を要しました。その分、長いこと至福を噛みしめることができたのですが。アップロードされるごとに、次々とバッテンマークが画像に置き換わってゆく。壮観でした。

 昨晩経験したのは、その逆のケース、あるサイトの終幕でした。チャットに参加しながら立ち会っていたのですが、零時を回ってしばらく経つとチャットがリロードされなくなり、他のページの画像がバッテンマークに置き換わり、やがてすべてのページが “404 File not Found” になる。覚悟はしていましたが、やはりしんみりしてしまいました。

 最近では、書き込むことも、参加することもほとんどなくなっていたのに、日々掲示板をのぞき、チャットを確認することが習慣になっていたのは、管理人のひとりとして名を連ねていたからという義務感からでは決してなく、 「今日もまた、そこにあること」 を確認するための作業であったように思います。

 今朝、起きてすぐに立ち上げたパソコンから、ついつい 「今はもうない」 場所に行ってしまい、 「今はもうない」 ことを確認し、みずから進んで 「しんみり」 を頭からかぶりました。5年間の習慣からは、しばらく抜けられなさそうです。

 百年前、君はいなかった
 百年後、君はいない
 たった今だけ
 君はいるんだ

原田宗典 「今だけ」 ( 『青空について』 所収)

   040829 ジャイアンツのローズが言ったんなら、まだわかる。

「とてもうれしい。最後はいっぱいいっぱいだったが、ベストを尽くした。きょうは歴史的な日だ」
ジェフ・ウィリアムス(オーストラリア代表/阪神タイガース)
アテネ時事通信(神戸新聞8月25日朝刊に掲載)

 オリンピック・野球のオーストラリア代表、ジェフ・ウィリアムスは、日本代表打線を完璧に封じ込め、 「長嶋ジャパン」 の金メダルの夢を打ち砕いた。

 並んでメイドカフェに向かって歩きながら(いらん情報)takkaさんは言っていた。 「ウィリアムスのヤツ、今年ぜったい手ぇ抜いとった。あんなスライダー、見たことないもん」 と。たしかにあのスライダーはすごかった。真剣勝負の場で初めて対戦する同僚・藤本に打てるわけがない。

 解説の星野仙一さんは、 「(なかなか攻略できず、抑え込まれている先発投手)オクスプリングから、(日本球界に在籍し、見慣れている)ウィリアムスに替えてくれたほうが、攻略できるかも」 といったようなことを言っていたが、どっこい甘かった。ウィリアムスによれば、 「どういう投球をすれば、打ち取れるか分かっていた」 らしい。日本打線がメッタ打ちにしていれば、逆に 「どういう投球をするか分かっていたので、打てると思っていた」 と言えたのに。勝負の世界では、勝者の弁がいつも正しい。

 その 「勝者の弁」 だが、冒頭に挙げたウィリアムスのコメント中に、気になる箇所があった。

 「最後はいっぱいいっぱいだったが」

 ウィリアムス、 「いっぱいいっぱい」 なんて言ってないと思う。

 この 「いっぱいいっぱい」 、ここ4、5年で急速に普及してきたのではないか。 「もう最近、いっぱいいっぱいで」 「いろんなことがありすぎて、いっぱいいっぱいです」 「いっぱいいっぱいな日々を過ごしております」 などと、個人サイトの日記で用いられているのをよく目にしてきた。もちろん僕も使ってきた。

 普及の場の特異性とともに、もろ口語ということで、 「いっぱいいっぱい」 という言葉には、若干の軽さがある。親しみやすいと言い換えてもいい。だからこそ、新聞紙面で、しかも外国人の発言として唐突に出てくると、違和感ありまくりだ。こんな顔で 「いっぱいいっぱいだった」 と言われても。

 しかしながら、見事な翻訳(あるいは、通訳)であることもまた、認めたいところではある。たしかにあの状況では、いっぱいいっぱいになってもおかしくない。むしろ当然だ。1−0だったのだ。一国の代表なのだ。メダルが懸かっていたのだ。そうした背景をすべて(乱暴にではあるけれども)ひっくるめて表現し、読者に了解させることに成功しているのだ、 「いっぱいいっぱい」 という言葉を使うことによって。

 だかこそ知りたくなるのが、ウィリアムスの元の発言だ。それと、インタビュー時のVTRだ。ウィリアムスのどんな発言を、どんな表情を、 「いっぱいいっぱいだった」 という日本語に置き換えたのだろう。どこかで読む(見る)ことはできないものか。 「いっぱいいっぱいだった」 → 「疲れていた」 → 「私はとても疲れていました。」 → “I was very tired.” と、中学生レベルでしか推測できない自分が恨めしい。

 遠い昔に戸田奈津子さんと字幕の翻訳と活字の翻訳について対談する機会があったとき、戸田さんは、字幕の翻訳では考えさせる言葉は禁物である、と言った。観ているひとの頭にすいすい入っていくようなものでなければならないということだ。
青山 南 「南の話/いよいよ字幕のほうへ」
(『本の雑誌』 2004年8月号)

 そういえば映画 『ホーンテッドマンション』 では、エディ・マーフィーが字幕で 「巧が華麗にリフォーム!」 なんて言っていたし、 『LOVERS』 ではアンディ・ラウが 「オツなものだ」 と言っていた。違和感はあるけれども、 「伝える」 という目的は達成している。

   040826 仕事。

 出張先。打ち合わせが終わったあとの雑談の席で、相手方の事務長職にある人が、言った。

 「ぼくも昔、編集の仕事をやってたこと、あるんですよ」

 「ええっ、そうなんですか?」 声が大きくなってしまった。もう何十年ものあいだ、いまの役職にあるんじゃなかろうかと思えるくらい、事務長職がハマッていた人だったから。実際には40そこそこなんだろうけど。

 「クルマが好きで、専門雑誌を、10年くらい」

 「へえええ、そうなんですかあ」 間抜けな相づちを打ったあとで、

 「なんでまた、転職されたんですか?」

 率直な質問をぶつけてみた。

 「子供ができたことが、きっかけでねえ」

 苦笑いを浮かべていた。

 「それでもしばらくはね、続けていたんですよ。けれどほら、時間がないでしょう? この仕事」

 僕は大きくうなずいた。

 「風呂に入れるとき、こわがって泣かれてしまったんです。ぼくもおっかなびっくりだったから、それが伝わったのかもしれない。子供にふれる時間が、なかった。慣れてなかった。なんかね、すごーく悲しくなっちゃってね」

 仕事の話をしてるときとは違った、だいぶ砕けた言葉づかいになってきて、唐突に、

 「どう? 仕事、楽しい?」 と、訊かれた。

 「ええ、楽しいっすよ」

 即答に、ウソが混ざっていた。

 「時間もお金も、ないですけれどね。楽しいですよ」

 模範的に、ウソの上塗りをした。 「本当の」 本心ではない。時間は欲しいし、お金は欲しいし、これらが天から降ってきたならば、いまの仕事なんてやめてしまうだろう。

 「そう、なによりだね。ぼくは、やめちゃったけどね」 自嘲ぎみな言葉に対して僕は、

 「5年後にも同じ仕事を続けてるかどうかは、わからないっすけどね」

 と、返した。これは、本心だった。得意先の事務長に打ち明けることではない。なんて責任感のないヤツなんだ、コイツに仕事あずけて大丈夫なのか? と思われてしまっても、仕方がない発言だ。同じ職の経験者だと知って、気をゆるめてしまった。相手は、 「うんうん」 と首を上下に揺するばかりであった。

 少しの沈黙が、あった。その間、ついつい僕は、これまでの自分を振り返り、いまの自分を考えていた。

 やるべきだとされていたことを中途で放り出し、やりたいことを優先させようと思って、いまの仕事に就いた。かつて放棄したことも、もっと前には 「やりたいこと」 だったはずだ。今後また、さらに優先させたいことが出てくるかもしれない。実はもうすでに目の前にありながらも、見て見ぬフリをしているのかもしれない。将来この事務長のように、まったく異なる方面へと転職する可能性は低くない。

 「やれるうちは、精一杯楽しんでね」 回想と予想のなかで自分が引き合いに出されているとは知る由もない事務長の言葉によって現実に引き戻され、あわてて、

 「はい、ありがとうございます」 と、またもや模範的受け答え。なにが 「ありがとうございます」 なんだか。言いながら、 「まー、ほどほどにやっていきますから」 と思っている自分がいる。その後は、話題を変えるための仕事上の微細な質疑の応酬に終始した。

 帰りの新幹線車中。これから僕は、どう転がっていくんだろう。また考える。 「人生を転がす」 という他動詞なのか、 「人生が転がる」 という自動詞なのか。できれば他動詞でありたいなあと思いながら、今日もまた仕事に翻弄されている。

   040819 抑制の必要性。

 伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ!

 実況ってのは大変な仕事だよなあ、と思う。

 目の前の出来事を瞬時に言葉に置き換える。選んでるヒマはない。聞き手に考えさせてはいけない。身体に染み込むわかりやすい言葉を、脊髄反射で表に出す。

 厳しい条件下で強いられるからこそ、 「いい仕事」 は時代を超える。 「ガンバレ、ガンバレ! 前畑ガンバレ!」 は実況としては失格なんだけど、それでよかった。それがよかった。僕が生まれる遥か前の言葉が、いまなお残っている。

 伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ!

 8月17日午前5時39分にNHKの刈屋富士雄アナウンサーが叫んだこの言葉は、つくづく名実況だと思う。ニュース番組でこれでもかってくらいに立て続けに流されてるけど、今後のオリンピック回顧番組でも繰り返し使われることだろう。冨田洋之の着地までの軌跡が、美しさを増した。ほんとに架け橋に見えてくる。いい実況は、聞き手の想像力を喚起する。

 思うに、刈屋アナウンサーがNHK在籍で、主に国技・大相撲の実況を担当してきたことも、いい方向に作用した。常日頃の抑制の効いた口調による実況、つまりは静かなる前フリがあってこそ、ヤマ場での多少芝居がかった、演出過剰にも思われる言葉が活きる。普段からはっちゃけ過ぎている民放のアナウンサーが同じ文句を使ったとしても、華美な言葉の海に呑まれて目立たなかっただろうし、 「何をリキんでんだか」 というシラケを聞き手に与えてしまっただろう。力の入れどころ抜きどころを心得ておくことが、肝要なのだ。

 NHKの視聴者センターには、 「刈屋さんの実況は非常に良かった」 「名ぜりふだった」 といった声が寄せられたらしい。実況はとかく批判の対象となることが多いけど、底力を見せてくれた感じだ。NHKのオリンピックテーマソング 「栄光の架橋」 がまずあって、これをちゃっかり盛り込んでるあたりに若干作為と技巧の臭いがするものの、そこは許容範囲。4年前、同じくオリンピックの実況で 「ゴール! ゴール! ゴール! ゴール! ゴール! ゴルゴルゴルゴルゴル……」 と連呼して大顰蹙を買った日テレの船越雅史アナウンサーとは、とりあえず雲泥だ。

※元記事は、こちら。 『 nikkansports.com 』 より。この記事につられて、新聞そのものも購入してしまいました。

   040817 オリンピックの感覚と間隔。

 小学5、6年生のときの理科の先生が美人だったので、僕は理科が好きになり、のちに理系に進みました(きっかけってそんなもん)

 ソウルオリンピック開会式(1988年)の生中継を、その理科の授業中に見せてもらったことをよくおぼえています。僕にしても、30人ほどのクラスメイトにしても、当時は素直に、そして純粋に、 「オリンピックって、とにかくすげえものなんだぜ」 と思えていたころですから、それはもう夢中になって見入りました。教材のビデオを流すときくらいしか注目されることのなかった理科室のテレビが、一躍大人気です。

 ひょっとしたら、授業の一環とかこつけ、生徒を楽しませるためという名目で、実は先生自身も開会式を楽しんでいたのかもしれません。いや、きっとそうだったんでしょう。16年経って3度のオリンピックを間にはさみ、あのころの先生と同じくらいの年齢になってもやっぱり開会式に心躍り、録画しておいたその模様を、翌朝早送りもせずに見ている自分がいるわけですから。山田先生(仮名)、お元気ですか。

 11歳の僕は、ソウルオリンピックを十二分に楽しみました。鈴木大地のバサロに、斉藤仁の涙に、小谷実可子の足に、心動かされました(足?)。 「清風高校の池谷クン」 は、その後いろいろ大変でしたね。

 いま、そのころと同じくらい観戦に時間を割くことは到底できないし、実際せっかく加入しているケーブルテレビも宝の持ちぐされ状態です。しかしなんて言うんでしょう、オリンピックの 「熱」 みたいなものは、周囲から伝わってくるわけです。 「オリンピック、最高に盛り上がってますよ」 という、感覚。テレビから、雑誌から、会話から。

 その喧騒を 「ふうん」 とばかりに距離を置いて眺め、そ知らぬ顔を決め込む態度を、僕なんかはとりがちなのですが(サッカーW杯しかり)、それはあまりにもったいない話。できるだけ情報を収集し、可能な限りテレビ観戦し、 「踊らにゃ損」 とばかりに気持を盛り上げています。仕事中も、ニュースサイトで予選結果のチェックに余念がありません。

 こうしてオリンピックを観戦していると、どうしたって 「4年」 という月日の長さと重さと周期に、思いが至ります。

 スポーツに人生を賭け、4年間を耐え、勝負の決する一瞬に輝く選手がいます。姓を変えて再び得た金メダルがあれば、引退を撤回して3大会連続で獲得した金メダルもあります。最高にうれしい8位入賞があれば、最高にくやしい銀メダルもあります。あるいは4年間の努力むくわれず、出場かなわなかった選手の悲哀を伝え聞くこともあります。

 有森裕子が自分で自分を褒めてたときに、受験生だった僕は
 田村亮子がケー・スンヒに敗れたときも、同じく受験生で
 高橋尚子がゴールテープを切ったときは、卒業研究に励んでいました。

 今年の開会式を見ていて、石綿金網や、アルコールランプや、理科室の水のニオイを、思い出しました。

 先生に褒められたくて、予習も発表も宿題もがんばった自分を思い出しました。

 理科とは、くっついたり離れたり。縁は続きます。

 1年だと短いし、10年だと長すぎる。
 振り返ったり、思いを馳せたりするのに、
 オリンピックの間隔はちょうどいいのです。


 そこではっきりしたのは、前回家族が顔を合わせたのも日本ではなく外国であった。私が映画を撮影する仕事で長期間モンゴルに滞在していたとき、ウランバートルで会ったのだ。

 「五年振りよ」

 妻が子供のように指を折って数えながらそう言った。

 「オリンピックよりもあいだが長いんだ!」

 私はいくらか白みかけた窓の外を眺めながら、やっぱり子供みたいなことを言った。

椎名誠 「家族」 ( 『春画』 所収)


 シドニーオリンピック開会式(2000年)の日、僕は椎名誠の監督映画 『あひるのうたがきこえてくるよ。』 を観に行ってたよな、ということも思い出しました。

 4年前に、いまの自分の姿は想像できませんでした。

 時差のないオリンピックは、4年後にまたやってきます。

   040802 追悼・中島らも。

 以来、今日にいたるまで、 「中島らも」 は、書き手としての私にとって、常に最も気になる書き手として存在し続けている。
原田宗典 「 『中島らも』 の曲がり具合」
(集英社文庫 『砂をつかんで立ち上がれ』 解説)


 「ああ、またなんかやらかしてる」

 「中島らも頭部負傷」 のニュースを目にしたとき、不謹慎ながらもこう思ってしまった。 「重傷」 「重態」 「意識不明」 という単語が並んでいても、 「酔っ払って」 「階段から落ちて」 「頭打って」 という 「なんだか、いかにも」 な場面設定が、その深刻さを薄めていた。またそのうち、ひょっこりと復帰してくるものだと思っていた。なにせ、 「大麻取締法違反で逮捕」 という状況からも、あっさりとカムバックしたのだから。 「大麻で捕まっちゃった」 というレッテルが、これほど枷にならなかった人もめずらしい。

 だから 「死去」 の報はにわかには信じがたくて、 「またまた、ご冗談を」 と思いながらニュース速報の全文を読んで、 「あ、本当っぽい」 と合点して、 「うわあ」 と一驚した。何段階かのステップを踏んだために、衝撃はそれほどでもなかった。なかったけれど、じわじわと 「もう、いないんだねえ」 という思いが湧き上がり、自分の大切な所有物を落っことしてしまったときのような 「もったいなさ」 の念に襲われた。


 『ガダラの豚』 が直木賞に落っこちたときにある作家が選評で、
 「私ならこの三分の一で書ける」
 とおっしゃっていたが、そういう問題ではないと思う。内容がまずあって、それにしたがって器の大きさが決まるのだ。

中島らも 「ぶあつい本」 ( 『砂をつかんで立ち上がれ』 所収)


 やっぱり、3分冊となった文庫本で読んだ 『ガダラの豚』 の印象が強い。そのころ僕は浪人生で、無尽蔵にあった時間のおかげで一気に読めた。ときどき古本屋で単行本版を目にするたびに、物語に引っ張られ振り回された当時の感覚がよみがえる。手にしたときにズシリと感じる重量は、原稿用紙1,400枚分の想念そのものだ。

 1年さかのぼって高校3年生のときが、もっとも読んでいた時期だと思う。 『今夜、すべてのバーで』 が白眉で、 「こんな大人になりたい」 ……とは、もちろん思わなかった。その代わり 「大人って、ステキだ」 とは、思った。大人といえば 『お父さんのバックドロップ』 を読んで、 「お父さん」 に対する見方が少し変わったかもしれない。

 2年くだって、大学1年生のときに読んだ 『永遠も半ばを過ぎて』 も忘れがたい。 「幽霊」 が登場するとはいえ別に生粋のホラーというわけじゃないのに、ゾクゾクしながら読んだ記憶がある。最初に読んだのは、帰省のために岡山へ向かう新幹線車中である。主人公のひとりは出版社社員。いま読むと、また違った感想を抱くだろう。

 大学4年生のときに、渋谷の書店で催されたサイン会に行った。ペンを持つ手が小刻みに震え、張り詰めた緊張が場を支配する、かつて(そして、以降も)経験したことがない異様な雰囲気のサイン会だった。果てしなく冷たい手に体温を奪われ、ジロリとこちらを睨む視線に耐え切れなくて目を伏せた。あれが最初で最後の接近遭遇になるなんて、思ってなかった。

 同じころ。 「リリパット・アーミー」 の公演に行こうとしたけど、予定が合わずに行けなかったことがある。名称が 「リリパット・アーミー II 」 に改まったのは、その直後のことだ。 「リリパ II 」 の活動はこれからも続くのだろうし、いつか観に行く機会もあるだろう。ただ、氏の存命中に一度も行けなかったことを、僕は悔やみ続けるのだ。さんざ人を驚かせて、やらかしまくって、さっと退場してしまった氏に向けて、 「お見事でした」 とつぶやくほかない。


 「詩は弓で射抜くように言葉の矢を使って、真空そのものを射抜く。これは詩の持っている本質のひとつだ」
中島らも 『バンド・オブ・ザ・ナイト』

   040722 人間を書くということ。

トマス・ハリス 『羊たちの沈黙』 のレクター博士ではありませんが、ありえない存在をありえるように書いて、初めて人間が書けたというのであって、日常的な人間を書いても、それは人間を書いたことにはならない。文章の無駄遣いだと思いますけどね。
宇山日出臣(講談社文芸局)インタビュー
探偵小説研究会編著 『本格ミステリこれがベストだ!2004』 より


 仕事で、プライベートで、いろんな職業の人々の話を聞いていて思うのが、「どの人の話も、面白い」 ということだ。

 キャリア50年超の俳優も、新卒1年目のサラリーマンも、等しく面白い話を繰り出してくれる。もちろんネタの多寡や内容の濃淡はあれど、いずれも 「面白い」 という大雑把な形容詞の適用に支障はない。

 30分もインタビューすれば、数千字もの言葉がその人の口から溢れ出て、僕はテープ起こししたデータ原稿を前に、どの言葉を活かそうか、どのエピソードを削ろうか、頭を抱えることになる。僕に与えられる文字数は800。多いときでもせいぜい2,000字なので、聞いた話すべてを盛り込むことは到底不可能だ。

 加えて、商品として流通する媒体に載せるからには、それなりのモノになっていなければ話にならない。僕の感じた 「面白さ」 を損なうことなく伝えるためにはどういう構成にしたらよいのか、(フィクションとしてまとめる場合は)どんな脚色を施せば事実がより生きるのか、考えまくり、悶えまくりながら書き進めていく。

 ここで僕が念頭に置くべきは、 「自分が書いているのは 『小説』 ではない」 という前提である。それはつまり 「日常的な人間」 を書きながらも、人間を書く(ことをめざす)という行為であって、こと小説技法に関しては宇山氏が否定している方面から、文章に取り組まなくてはならないということである。これは決して 「文章の無駄遣い」 ではない(と思い込まなくちゃ、やってられない)

 そもそも字数制限が設けられた原稿の中で 「文章の無駄遣い」 なんてしてるヒマはない。言葉を削って削って、なお多くのことが伝わるように、文章を整形する。費用対効果の高い文章を探し求めるわけだ。その鍵は選ぶ単語にあったり、構成にあったり、リズムにあったりする。

 これは、 「つまらない話」 を力技で面白くするなんていう、おこがましい話ではない。最初に戻るが 「どの人の話も、面白い」 のだから、下手に加工してその面白さをぶち壊しにしないこと、僕がまず気をつけるべきはその点なのである。


「とにかく、きみはありふれた人間というには程遠い人だ、スターリング捜査官。きみが胸に抱いているのは、そういう人間になることに対する恐怖心だ」
トマス・ハリス 『羊たちの沈黙』 (訳/菊池光)


 そうした意味でも、 「ありふれた人間」 なんてのはどこにもいない、ということもまた、インタビューを重ねて感じてきたことだ。みんなどこかに 「ありふれてない部分」 を持っている。その部分を探し当てて掘り下げて持ち帰って、効果的に伝えるためにどうにかこうにか形にするべく奮闘するのが、今の僕の仕事になっている。

 ただ、一部の例外を除く大多数の人は 「いやあ、自分なんか 『ありふれた人間』 っすから」 とか 「私なんかまだまだ……」 とかいった謙遜の心意気、謙譲の美徳を備えているために、なかなか最初からは 「ありふれてない部分」 をさらけ出さない。 「僕の話なんか、つまんないですよお」 と伏し目がちにつぶやかれながら、大抵のインタビューはスタートする。

 ところが、面白い話が出る出る。

 何もせずともどんどん話を広げていってくれる人もいるし、僕の質問に答えながら、ぽつぽつと内面を吐露してくれる人もいる。パターンはその都度異なるものの、当初の懸念はいつの間にか霧散し、メモを取る手も止まるくらいに話に引き込まれてしまう(ただし、 「本当に」 引き込まれてしまわないように注意しなくちゃいけなかったりもする)

 「ありふれてない部分」 を引き出すコツも、経験によって次第につかめてきた。要は、 「他の誰でもなく、 『あなたの』 話を聞きにやってきました」 という姿勢を、聞く立場として素直に表に出すことだ。僕もそうだけど、人は 「ありふれた人間」 としての自分を積極的に(あるいは、しぶしぶ)認めながらも、 「人と違う自分」 を心のどこかで意識しながら生活している。そこを、くすぐる。

 「仕事に対する思い」 「これまでの人生」 「これからの夢」 は人それぞれ万別で、類似に思われても微妙な差異があり、表現が異なり、話すときの表情が違う。そこを聞き出すのが楽しい。最初は無口に思われた人が、終盤になって冗談まじりの失敗話で笑わせてくれたなんて経験を繰り返すと、実はみんな、話すことができる時と場所をずっと待ち焦がれてるんですよね、と思ってしまう。

 話が面白ければ面白いほど、原稿にまとめるときには苦労するのだが、そこは痛し痒し。もっといろんな人の話が聞きたいし、聞いた話を適切に伝える文章が書けるようになりたいと思う。究極には、話し手自身も自覚することのなかった心の内奥を聞き出して書き起こして驚かせて、かつ喜ばれる文章になればと思う。いったいどれだけの経験を重ねればその域に到達できるのか見当もつかないけど。そしてどんなに多くの言葉を費やし、文章を弄してあるひとりの人間について書いたつもりになっても、なお膨大な余りが残るのだろう。文章で描き切れるほど、人間は単純ではない。


僕が欲しいのは、登場人物として存在感があることなんだとわかりました。人間を描きたいというと社会的な意味に聞こえるかもしれませんが、どの人にも人生があるんだ、という風にはしたい。(中略)リアルでなくてもいいから存在感が欲しいとは意識しているかもしれませんね。
伊坂幸太郎インタビュー
探偵小説研究会編著 『本格ミステリこれがベストだ!2004』 より

   040711 「さようでございますか」なんて言っちゃってる。

 もろやんは、大学の先輩なんです。

 これは、あまり認識されていない事実だと思います。学年で彼がひとつ上。毛の先ほどの役にも立たない知識ですが。トリビアにもなりゃしない。

 「先輩」を「彼」呼ばわりし、日記等でイジりたおすことができるのは、共通の友人を介して知り合ったという背景があってのことです。これがもし出会う順番が違っていたら……と思うとゾッとします。僕はありとあらゆる場面でもろやんのことを先輩として敬い、言葉づかいに注意し、率先して盃に酒をつがなくてはならないのです。想像するだにおそろしいシチュエーションです。もろやん先輩、もろやんセンパイ、もろやんセ・ン・パ・イ うぇえええ。

 2回連続してもろやんにフィーチャーするのもイヤなので、とっとと先に進みます。こうした例外的なケースは別として、多くの人間関係において「先輩―後輩」の図式はとても大きな支配力をもつものです。中学・高校の部活動では、たった1学年の違いが権力の圧倒的な差をもたらしますし、会社においては入社年月の順序が、以降の昇進昇給に多大なる影響を与えます。

 そして何よりも顕著に拘束され、かつ注意を要するのが、言葉づかい。

 尊敬語・謙譲語・丁寧語。これらを巧みに用いて、先輩後輩関係の円滑なる遂行に励まなければならないのです。さあ大変。

 多くの人の場合、中学・高校までには、この技術を磨く機会に遭遇するのだと思います。部活動を主な舞台として。しかし積極的に「帰宅部」を貫き、学校との関係を可能な限り希薄に保とうと努めてきた僕に、そんな機会はほとんど訪れなかったため、大学に入ってから苦労しました。

 学科の先輩、サークルの先輩に対して、どういう言葉づかいで接すればよいのか。意識しすぎると「先生」に対するときくらいに過剰な敬い方になってしまいますし、油断すると同期に話しかけるときくらいの馴れ馴れしさになってしまいます。失敗を繰り返しました。

 さらに混乱するのが、オフ会の場です。年齢・学年が雑多で、誰が「先輩」で誰が「後輩」なのか。そもそもそんな「先輩―後輩」という図式をオフ会の場で持ち出すのが野暮ってものなのか(実際野暮なんですが)。そして参加者は学生よりもむしろ社会人のほうが多いわけですから、人間関係はますます混沌としてきます。対策として僕は、「年齢・学年の上下問わず、とりあえず丁寧な言葉づかいでいきましょう」という方針を採用しました。元来僕の言葉づかいはバカ丁寧なので、この方針を徹底することには困難はありません。

 しかしながらそうすると、次の難問が待ち受けています。「仲良くなってきた人に対して、どういう言葉づかいをすればよいのか」。バカ丁寧を続けるのもなんだし、かといって「タメ口(この単語の使用は控えたいのだけど、ほかに適当な表現がないので、仕方なく用いています)」に移行するのも、そのタイミングがつかみづらい。そもそも僕は「タメ口」を使うのが苦手。この問題には、今なお悩まされています。


 こんな僕でも、こうして大学時代やオフ会への参加を通じて言葉づかいをあれこれ思い悩んだおかげで、仕事をするようになってからの苦労はそれほどでもなく、すぐに順応できたように思います。加えて編集の仕事においては、「依頼」と「催促」をスムースにできるか否かが鍵なので、この方面での言葉づかいに関しては大いに鍛えられました。すなわち、

・なし崩しで依頼しちゃう。
・いい気分で書いていただく。
・それとなく催促する。


 ために特化された言葉づかいを、日々身につけてきているのです。それはもう、普段は絶対に使わない単語を駆使して。次のような言葉が、電話やメールでスラスラと出てくるようになってしまっています。

・さようでございますか。仰いますことは私どもでも重々承知しておるのですが、これはもうクライアントの意向でして、先生に是非ともご執筆賜れたらと考えておりまして。

・私どもの都合にて誠に恐縮ですが、原稿の締め切りを1ヵ月後とさせて頂きたく存じます。ご多忙中誠に恐縮ですが、何卒宜しくお願い申し上げます。

・原稿ですが、本日までに頂けるとのことでしたが、こちら進捗状況はいかがでしょうか。お待ち申し上げておりますので、ご連絡賜れましたら幸甚です。


 実にオトナっぽい。ただ、現時点では習得がいかにも中途半端で、ともすれば慇懃無礼、かつ形骸化して心ここにあらずな言葉づかいになってしまっているなあ、ということも自覚しています。なかには誤用もちらほら。言葉を自分のものとして、もう少しこなれた、アレンジの効いた言葉づかいができるようになるには、まだまだ時間がかかりそうです。

 それ以前に普段の会話も、もう少しうまいことできるようにならんもんかと思います。もろやんに対して「さえ」、たまにバカ丁寧になるからなあ。


 社会が変われば言語が変わる。学生を卒業して社会人になるということは、新しい言語の流通する文化圏で生活していくことなのです。
『オトナ語の謎。』

   040705 二十七歳だった!

 6月28日は、大学時代からの友人もろやんの誕生日。日付が変わったAM 0:43に、ケータイメールを送りました。本来ならば電話すべきところをメールにしたのは、「もしかしたら寝てるかもしれないし……。起こしたら悪いよね」という僕の細やかな配慮ゆえです。送ったのは、次のようなメールでした。

宛先:もろやん
日付:2004/ 6/28 0:43
件名:誕生日おめでとう。
本文:すてきな27歳になってくださいね

 送った数分後に、もろやんから電話が。

 らな:もしもし。

 もろやん:もしもし。

 :届いた?

 :う、うん。あ、ありがとう(ぽっ<頬を染める)

 :いえいえ(ぽっ)

 :おめでとうメール、君が一番乗り。

 :してやったり。

 :してやったり?

 :うん、3日前に書いて保存しといた。スタンバイ。

 :なにしてんだ。

 :一番乗りして、ヘコましてやろうかと。

 :ヘコんだ。

 :ほんとは日付が変わった瞬間に送りたかったんだ。けど、ちょっと遅れちゃった。ごめんね。

 :あやまらなくていいです。

 :「午前0時を過ぎたら イチバンに届けよう」って思ってたから(ドリカム)

 (スルー)27ですよ。

 :27ですな。

 :らなも、もうすぐだよね?

 :そう。ちょうど1週間後。

 :無駄に近いよね。

 :うん、とくに「ちょうど1週間」というあたりが無駄だ。

 :金、たまってないよね。

 :ないね。

 :どうするよ。

 :どうするもこうするも、イチローがメジャー挑戦を決意したのが27の時ですよ。

 :やるな、イチロー。

 :あなどれないね。

 :見くびってた。

 :ブルーウェーブ在籍最終年の年俸は、5億3000万円(推定)でした。

 :ちょっと負けてるよな。

 :ちょっとね。

 :ところで、ハラまわりに肉がつきやすくなってませんか。

 :なってる。昔はついてもすぐ落とせたのに。

 :だよね。おれは、背中に肉がついてきた。

 :なぜ背中。

 :わからん。

 :まあいいじゃん、もろやんは元々が細いんだし。

 :たしかにそうだけど。

 :これで「北海道の細い子」からの脱却が図れるね。

 :願わくば。

 :「寺尾化計画(※)」発動だね。
 ※学生時代もろやんは、「おれは寺尾になる」と大言壮語して、周囲の失笑を買っていました。

 :いや、ついてるの筋肉じゃなくてぜい肉だし。それはどうかと。

 :ダメですかね。

 :錣山親方にダメ出しされるね。

 :突っ張りは痛いなあ。

 :といったところで、我々の27歳のテーマが決まりました。

 :うむ。

 :メジャーに挑戦する。

 :メジャーに挑戦する。

 :ハラまわりに気をつける。

 :ハラまわりに気をつける。

 :このふたつでいきます。

 :わかりました。あ、もろやんはもうひとつ。

 :なに?

 :寺尾になる。

 :寺尾になる。

 :健闘を祈ります。

 :善処します。

 :「寺尾前」「寺尾後」の広告に出てください。

 :メジャーへの第一歩だな。

 :そう。テーマがひとつにつながりました。

 :では、おやすみなさい。

 :おやすみなさい、よい夢を。

 :ありがとう(ぽっ)

 :いえいえ(ぽっ)



 そんな27歳ですが、今後ともよろしくお願いします。


 この日記で触れた「先輩―後輩」関係に忠実な言葉づかいにして、
 再構成しました。>>>



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