■ 2005年7月,8月,9月

   050827 離陸と着陸のリリック。

 飛行機の離着陸フェチです。

 離陸する瞬間の 「ふわっ」 、着陸する瞬間の 「がすんっ」 、いずれもたまりません。1回の飛行につき、それぞれを1回ずつ味わえる喜悦。これを得たいがために、僕は毎度旅行を画策していると言ってもいいでしょう。20歳の夏に初めて飛行機に乗って以来やみつきになった、この 「ふわっ」 「がすんっ」 。若き日のひと夏の思い出は、その後の人生に多大なる影響を与えるものなのです。

 このたびのドバイ旅行は、そんな離着陸フェチな僕に至上の喜びを与えてくれるものでした。とくに往路。 「成田発、香港乗り継ぎ、バーレーン経由、ドバイ着」 という、舌をかみそうな行程が意味するもの。それすなわち 「1日で3回の離着陸を経験できる」 という、夢のようなお話なのです。整理しますと、

 新東京国際空港発= 「ふわっ」 1
 香港国際空港着= 「がすんっ」 1
 香港国際空港発= 「ふわっ」 2
 バーレーン国際空港着= 「がすんっ」 2
 バーレーン国際空港発= 「ふわっ」 3
 ドバイ国際空港着= 「がすんっ」 3

 となります。なんのための整理だかわかりませんがそれはさておき、こんなボーナスポイントのような離着陸をゲットできるのであれば、直行便でなくとも少しの不満もありますまい。都合15時間超という長い長い飛行時間も、離着陸の瞬間のためと思わば耐えられます。むしろ感謝したいくらいです。ありがとう、バーレーン。

 ここで僕は考えます。現在は年に2、3度、遠方への国内出張があるために、身銭を切ることなく飛行機に乗ることができてそれはそれでうれしいのですが、世にはもっともっと飛行機に乗る機会が多い職業の人々がいるはずです。世界を股にかけるビジネスマンとか、海外遠征をくり返すプロスポーツ選手とか。なんてうらやましい。残念だ、サッカー日本代表になっておけばよかった。

 また世には、僕と逆に飛行機が苦手という人々も、相当数いると思われます。takka(メイドカフェの)師匠など、 「飛行機に乗ると、武士(もののふ)になる」 と言っていました(緊張のあまり武士のごとく姿勢が正しくなっちゃう、の意)。なんともったいない。もちろん僕も離着陸の瞬間には少しの緊張があるわけですが、この緊張も含めての魅力と考えます。機内全体が、乗客全員のわずかずつの緊張の総和により 「しん……」 とした緊迫した空気に包まれるのも、いいですよね。誰に同意を求めているんだ。

 復路は 「バーレーン経由」 がなかったために2回ずつの離着陸にとどまり、物足りなさをおぼえてしまったということも付け加えておきます。過度の快楽には、こういう危うさがありますね。ご利用はほどほどに。また来年も旅行しよう。その前にどっか出張ないかな。

 旅行レポは以上です(え?)

   050812 夏休みの思い出と〆切。

 8月も10日を過ぎると、 「夏休みも折り返しだねえ」 と思う。

 一学期の終業の日、通知表とともにもらったのが、 「なつやすみのとも」 。1日1ページ、計40ページの宿題の冊子。 「こんなん、友だちじゃねーや」 というつぶやきを誰かが発するのを、毎年耳にしていた。

 小学生のころ、よい子だった僕は7月末には宿題をすべて終わらせ、残りの1ヵ月を左ウチワで過ごした。 『あさりちゃん』 でいうところの、タタミちゃんタイプ。当時から寝坊しいだったのでラジオ体操には行かなかったけれど、目覚まし時計を8時半にセットしといて高校野球を第1試合から観た。4試合ぶっ続けで観た日もあった。ヒマな子だ。

 宿題をさっさと片付けるようにしていたのは、つまるところ 「あとでめんどくさいことにならないように」 という理由のみによるものであった。それが 「いま苦労すんのも、あとで苦労すんのも、いっしょではないか」 と考えをあらためるのは、中学生になってから。 「めんどくさがり」 という根っこは同じなのだから、この流れは道理であった。ヒーヒーいいながら、最後の10日間でどうにかこうにか間に合わせる。あさりちゃんタイプにあっさり転向。

 思うに、この転向が問題であったのだ。あのままタタミちゃんを貫いておれば、いまのこの苦労はなかったはずなのだ。

 あさりちゃんに染まった僕が、なんの因果か〆切に追われる仕事に就いてしまった。自分で原稿を書くにも、人に執筆を依頼するにも、常に〆切がついてまわる、この編集というお仕事。タチが悪いのは、人に依頼する場合は 「数日から10日ほど、余裕をもった〆切をあらかじめ設定しておく」 という安全策がとれるのに対して、自分で書く場合は 「本当の本当の〆切」 というものを知ってしまっている、ということである。

 レイアウトデザインや印刷のスケジュールを考慮し、発行日から逆算して 「この日までに原稿入れなきゃヤバイっす」 という期限が、すなわち 「本当の本当の〆切」 。そうした裏事情を把握しているからこそ、むしろ原稿は早めに早めに用意しておけばいいじゃないかキミ、という話なんだけど、それができないから僕はあさりちゃん。さらに悪いことには、自分でも 「この原稿は、このくらいの時間で書ける」 という予測がつくようになってきているから、〆切直前までなかなか気が向かない。で、〆切前夜に泣きを見る。経験が悪い方向に作用してます。

 「いま苦労すんのと、あとで苦労すんのとは、ひょっとしたら違うかもしれない」 と、僕は気づきはじめている。のに、抱えている原稿じゃなくてこの日記を書いてしまう。タタミちゃんだったころの僕に思いを馳せる。僕はタタミちゃんに憧れる。

 本多逆算男は、原稿は三週間で書いてもらうことにしよう、と言った。ぼくは一ヵ月ぐらいあってもいいのじゃないかな、と思ったが、それではまだだいぶ先、という感覚がある。原稿というのは締め切りが一ヵ月先でも三週間先でも、実際に書きだすのはせいぜい早くて締め切り一週間前ぐらいだから、三週間ぐらいが緊張感があっていい。また逆に二週間では気がせきすぎて断られてしまう可能性がある。“キメ技日数は三週間!”と指を三本立てて言った。
椎名誠 『本の雑誌血風録

   050804 ぼくのミステリな一人称。

 日記を書きはじめるときに、 《僕は 「僕」 でいいのか 「ぼく」 なのか、はたまた 「私」 なのか 「わたし」 なのか?》 という疑問が、頭をよぎる。

 一人称の問題。僕は 「僕」 という一人称を用いて、ほとんどの日記を書いてきた。その日の日記の雰囲気に合わせて 「ぼく」 を用いたこともあったけど、数は多くない。 「私」 や 「わたし」 を用いた記憶はない。

 僕と同世代、あるいは少し上の世代の男性が書いた文章を読むと、 「私」 を用いている人がちらほら見受けられる。 「私」 と名乗ると、それだけでクールで知的で大人な印象を与えることができてかっこいい。

 20代前半には、なんのためらいもなく 「僕」 と名乗れた。でも学生じゃなくなって、20代もラストスパートに入って、考えが変わってきた。 《30を前にして、いつまでも 「僕」 でいいのか?》 と思うし、 《いやいや、今年57歳になる糸井重里の 「ぼく」 は、ぜんぜん違和感ないじゃないか》 と思う。

 一人称は、個の特性と強力に結びつく。糸井重里の 「ぼく」 なら許せるように。そして、ある一人称が特定の人物を強引に手繰り寄せることもある。 「オイラ」 ならビートたけしだし、 「オラ」 なら孫悟空だし、 「ワイ」 ならプロゴルファー猿だ。

 仕事で、取材相手や取引先と話すときは 「私」 を用いている。いつまで経っても慣れないし、 《 「私」 を使っている僕》 を確認するたびにむずがゆくなるけれども、仕事なんだからしょうがない。仕事のうえで、あえて 「僕」 という一人称を使うときは、 《僕とあなたとは、だいぶ親しくなってきましたよね? ね?》 ということをほのめかしたいときであったりする。親密度のものさしとしての、 「僕」 。

 男性の一人称には、ほかにも 「俺」 「オレ」 とか 「儂」 「ワシ」 とかがあって、選択の幅が広い(書き言葉で使うかどうかはともかくとして)。対して女性は、 「私」 「わたし」 を使っておけば九分九厘まちがいないのであって、こういう類の悩みは少ないのかもしれない。意図して 「アタシ」 「ボク」 「オイラ」 を用いるケースもあるけれども。うん、 「ボク」 を使うショートカットの女子高生は、とてもよいと思います(また古典的な)

 いや待て、女性の場合は、 《自分の名前を一人称にしちゃう》 という離れ業があるのであった。 「まつうらはぁ〜」 とか 「あゆの新曲はねぇ〜」 とか。これは男性はマネできない。一人称の世界は奥が深い。

 で、結局今日もまた 「僕」 を使っちゃうんだよなあと、らなは思うの。

   050705 経年劣化もええもんでっせ。

 僕が生まれる少し前、1975年8月発行の本を、図書館で借りました。
 長年読み継がれてきたその本は、日に焼け、手垢にまみれ、背が割れ、ずいぶんとくたびれていました。カバーには、状態保持のためのポリプロピレンコーティングが、現在図書館に並んでいる多くの本と同様、なされています。
 30年前、このようなコーティングの慣例はなかったはずですから、その歴史のいずれかの時点で、施された加工ということになります。加工前のカバーに付着したと思われる黒ずみが、コーティングフィルムの下層に残っています。
 裏表紙をめくると、見返し部に懐かしの 「貸し出し管理カード」 が。バーコード管理化された現在にあっては、無用の長物となってしまいました。
 同じく見返し部に貼られた 「貸出期限票」 は、2枚にわたっています。最初のスタンプが 「50.10.15」 で、最後のスタンプが 「元 5.16」 。少なくとも14年間、この票は機能していたということになります。
 かろうじて本文用紙を保持している、割れた背表紙。読む際には、状況を悪化させぬよう、そろりそろりとページをめくる注意が必要です。また、今ではまずお目にかかれない類の誤植も見受けられました。これぞ誤“植”。
 「紙」 から 「電子」 へという媒体の主流の移行が加速し、情報の伝達形態としての 「本」 の存続危機がいわれはじめたのは、いつ頃だったでしょうか。

 その背景には、 「経済性」 とか 「利便性」 とか 「耐久性」 とか、「紙」 が 「電子」 に対抗できようもない種々の要素が、あるのでしょう。

 が、 「不経済であること」 とか 「かさばること」 とか 「朽ちること」 とかいったものに趣を見出すのもまた、人。本はこれらを逆に武器として、今後も生き残っていくのだろうなあ、と思うのです。
 本文にそぐわないタイトルで面目ない。



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